事実的な死

みなさんは「死んだ」って口に出した事は有りますか?

私はあります。 ゲームでの「死んだ」課題が終わってなくて「死んだ」その他諸々

ふと疑問に思ったのですが私達が一個人として体感出来る死とはなんなのでしょうか

社会一般的な死とは事故や自殺などの死が上がるとは思いますがそういった類のものはひしひしと死に際に「あぁ死ぬなぁ」なんて思うのかもしれません 

しかし私たちは体感することはできない

だって今この文を書いている私も この文を読んでいるあなたも生きているじゃないですか

そこで私の考える死とは 自分の考えを言えなくなった時なのかな といった考えに至りました

そうなる根拠は簡単です

自分の中の発想 考えを殺しているじゃないですか 

例えばグループワーク 自分以外のメンバーがA自分だけがBの案をあげるとしましょう

その場合Bの方は多数派の上げたAに心から賛成してるわけでも無ければBの意見も言えない

貴方がそのグループに存在する意味はなんなの?って言った具合ですかね

意見を言うことが生をまっとうするとまでは言いませんが 自分の人生好きに生きたいじゃないですか

ならば自分の生きた発想をねじ曲げられたらとしても発するしかないのです

だから私の思う「死」とは自分の意見を言えなくなった時ではないのかな と考えました